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石井 絢さん オレンジボウル(アメリカ・フロリダ州)予選1回戦突破 IMG ACADEMY~フロリダ遠征 ・Caselyトーナメント ベスト4 ・Eddie Herr Internationalジュニア選手権 予選3R進出・Little Mo International Tennis Tournament 第3位おめでとう

12/10 Junior Orange Bowl

Qualifying  予選: 1R 6-1,4-6,6-3ファイナルセットまでもつれ込み、見事に勝利。
2R 5-7,5-7

善戦するも予選二回戦で敗退。
ただ遠征の集大成と言えるような見応えある好試合で、お互いに一歩も引かない激しい打ち合い、ウィナー連発。相手が要所でドロップショットなど変化を出して来たところが勝負の分かれ目でした。ただ見ていたギャラリーからも沢山の拍手が👏素晴らしい試合でした!
これにて試合は全て終了。1ヶ月間良く頑張りました。残す2日は練習・トレーニング頑張ります。(小林コーチFace Bookより)

 

オレンジボウルの歴史 Junior Orange Bowl Tennis Championships
70年の歴史を持つ世界舞台への登竜門  毎年12月のクリスマスシーズンに米国・フロリダ州 で開催される『ジュニア・オレンジボウル国際テニス選 手権』は、グランドスラムイベントに次ぐ国際テニス連 盟(ITF)グレードAに区分されるジュニアテニス最高峰 のトーナメントとして“オレンジボウル”の名称で広く 知られている。テニスボールの“BALL”ではなく、収穫 したオレンジを入れる大きな“BOWL”が大会名の由来 なので「オレンジボウル」と書くのが正しい。

歴代優勝者にはクリス・エバート(1969、70年・米)、 ビヨン・ボルグ(72年、スウェーデン)、ジョン・マッケ ンロー(76年、米)、イワン・レンドル(77年、チェコ)、 ガブリエラ・サバティーニ(84年、アルゼンチン)、ジム・ クーリエ(87年米)、ロジャー・フェデラー(98年スイス) などの№1プレーヤーたちが名を連ねる、世界舞台への 登竜門的なジュニアトーナメントである。  第1回オレンジボウルの開催は1947年。エディ・ハー 氏が、当時熱心にテニスをしていた娘の出場する大会が 地元に少ないことから設立したもの。スタートから約30 年にわたってトーナメントディレクターを務めたエディ 氏は、ジュニア男子団体戦の『サンシャインカップ』や、 ジュニア女子団体戦の『コンチネンタル・プレーヤーズ カップ』の創設者でもある。  当初はアメリカンフットボールなどの競技と一緒にマ イアミ地域でクリスマスシーズンに開催される子どもた ちのための催し物(イベント全体が“オレンジボウル”と 呼ばれている)の一つにすぎなかった。海外選手の出場も認められていたものの参加者は少なく、部門も男女16 歳以下と18歳以下の2クラスだけ。現在のように12歳 以下のクラスから設けられたのは1950年代になってか らで、本格的なインターナショナルトーナメントとして その地位を確立させたのはテニス大会のオープン化、テ ニスプレーヤーのプロ化が進む60年代に入ってからの ことだった。

オレンジボウルに日本人選手が初めて挑んだのは 1959年のこと。法政二高の菅清吉(現姓・森)と甲南高 の松本鐵一が出場し、菅はベスト8、松本が2回戦、2人 が組んだダブルスでベスト8という記録を残している。 清水善造、佐藤次郎などの名選手に続く国際的テニスプ レーヤー育成のために、日 本テニス協会が初めて行っ た海外ジュニア派遣だった が、当時の思い出を振り返 るインタビューがテニス雑 誌(1983年テニスクラシッ ク3月号)に掲載されてい るので転載しておこう。

森(旧姓・菅)「飛行機代は 別にして、協会から当時の お金で 1 人 50 ドルを持た されて、それでアメリカ、メキシコで50日間過ごしたのを覚えています。(中略) 今みたいに付き添いの人はいなくて、松本鐵一君と2人 での遠征で、宿泊はすべてホームステイ。僕らが泊まっ たのは、現在プロ選手のあのブライアン・ゴットフリー ト(1970 ~ 85年にプロテニスプレーヤーとして活躍。 世界ランキング最高位はシングルス3位、ダブルス2位) の家だったんです。ブライアンはまだ7歳のわんぱく盛 りで、帰り際に記念として家に僕らのラケットをプレゼ ントしてきたんです。だから、僕らがあの家に泊まらな かったら、ブライアンは今ごろテニスをやっていない じゃないかと思いますよ。試合では好成績をあげられま したが、シングルス準決勝でギスパートに0-6、0-6で負 けたのがすごくショックでした。逆にうれしかったのは、 結婚してアメリカに住んでいる元歌手の日本人女性が、 僕らの活躍を新聞で読んでおにぎりを持ってきてくれた ことですね」

■ 1967年沢松和子の優勝と72年
オレンジボウルのシングルス歴代優勝者に名を連ね た日本選手は、1975年のウィンブルドン複を制した沢 松(現姓・吉田)和子ただ一人。女子ジュニアとして初 めて派遣された66年大会で、16歳以下シングルスでベ スト8、姉・順子と組 んだ18歳以下ダブル スでベスト4の結果 を残すと、翌 67 年大 会は16歳以下シング ルスに優勝、英国のコ ニー・モルスワース と組んだ18歳以下ダ ブルスで優勝し、クラ ス違いの二冠を達成 している。  優勝こそ逃したものの、沢松が初出場した66年大会 では平井健一(法政二高)が16歳以下男子シングルスで 準優勝。

その後、72年大会では後のスター選手と名勝負 を演じた男子選手の活躍が話題となった。72年大会に出 場した待鳥明史が、18歳以下男子シングルスで4回戦を 勝ち抜き、準々決勝でビヨ ン・ ボ ル グ と 2-6、6-7 の 熱戦を繰り広げたのだ。 「ボルグは当時もうデ杯 選手で、プレースタイルも 今とまったく同じ。コート のかなり後方にいないと、 ボールが高くバウンドする ので打ちにくかったです ね。1 セット目 2-6 で取ら れましたが、2セット目は 一時リード。すると“日本 選手がリードしている”と いうアナウンスが会場に流 れ、観客が一斉に集まってきたのを覚えています。結局、 2セット目はタイブレークに入って敗れてしまいまし たが、僕は強い選手と試合するとわりと善戦していたの で、それほど力の差は感じませんでした」(1983年テニ スクラシック3月号より)

その後、1985年大会で太田茂がアメリカ人選手(ガー ナー)とのペアで18歳以下男子ダブルスに優勝。日本人 男子として初のオレンジボウルチャンピオンとなった が、このとき決勝を戦ったのは松岡修造と甘露寺重房の ペアだった。近年では、2003年に錦織圭が準優勝(男子 14歳以下シングルス)、森田あゆみが3位入賞(女子14 歳以下シングルス)。登竜門としてのオレンジボウルに 挑む日本選手たちの挑戦は今もなお続いている。

文:中川智文(日本文化出版㈱)

 

12/7 Little Mo International Tennis Tournament  準決勝:第2シード 1-6 7-5 12-14 の激闘の末惜しくも敗退。1stは相手のタイミングがバッチリはまり、なす術なく先取されるが、2ndからは絢らしい攻めが少しづつ入り、流れが行ったり来たりのシーソーゲーム。マッチポイントを3度しのぎ、ファイナルセット突入も、あと1歩届かず敗退。本当に良く頑張りました。3位決定戦は見事制しました。(小林コーチFace Bookより)

石井絢さんおめでとう。かずコーチ『すごいなぁ』とひと言。帰国したらお土産話をたくさん聞きたいですね。

  

12/4 Little Mo International Tennis Tournament  準決勝進出‼オレンジボウルと並び権威のある大会『リトル・モー大会』で石井絢さんが、準決勝進出しました。フロリダ遠征第3戦となる『リトルモー大会』。第1日目 1R bye / 2R 6-0 6-2  第2日目 シングルス3R 7-5 6-2 ダブルス1R bye / 2R 2-8 第3日目 シングルスQF 6-2 6-1 第3シードの相手を序盤から激しい打ち合い、長いデュースを取り 流れをつかんで一気に1stセットを先取すると、相手の集中力がきれ 2stはアッサリ取り勝利。明日はSFへ進出。(小林コーチFace Bookより)

    

“Little Mo”, Maureen Connolly / リトル・モー ~人生の言葉~

「リトル・モー」は、カリフォリニア州サンディエゴで1934年9月17日に生まれました。本名はMaureen Catherine Connolly Brinker(モーリン・コノリー)1953年 18歳で女子テニス史上初の年間グランドスラム(USオープン、全仏、オーストラリアの選手権大会とウインブルドン)を達成した選手です。身長160cmほどしかない小柄な選手だったことから『Little Mo”(リトル・モー)』という愛称が付きました。1951~1954年の間(16歳~19歳)、女子テニス界を支配、彼女は3年連続で「年間最優秀女性アスリート」に選ばれたのです。しかし、プレイヤーとして最盛期の1954年、19歳の時に落馬事故で引退を余儀なくされました。さらには、テキサス州ダラスで、1969年6月21日に34歳の若さでガンで他界しています。

彼女の生涯が映画になり、多くの人々にその名が刻まれました。映画「リトル・モー」では、短くて劇的な人生が描かれています。この映画で忘れられないセリフが、2つあります。

“Think of something pleasant, one of the happiest times of your life. I know there have been many.”
「何か楽しいことを考えなさい。あなたの人生で1番幸福だった時のことを。きっと沢山あったでしょう。」
交通事故で選手生命を絶たれた時、医師が言った言葉。

“You’ve got yourself a big dream. I’ve got myself a big dream. Here’s good luck to both of us.”
「君には君の大きな夢がある。私には私の大きな夢がある。私達2人の幸福を祈ろう。」
足の悪い彼女のコーチが、リトル・モーとの練習で言った言葉です。人生に夢は大切なものです。

彼女の生涯を称えて、モーリーン・コノリー・ブリンカー財団が設立されて、このトーナメントが開催されてます。

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11/24 Eddie Herr Internationalジュニア選手権予選に出場。予選128スタートの中、3Rまで進出。がんばりました。

(引率 小林コーチのFaceBookより)

予選2R 6-2,6-1 で危うげなく勝利。
相手が相手でしたが、コートを広く使った良いポイントパターンが増えてきました。
明日はU10チームはサンチェスカサルのUSTAに出場するべくネイプルズへ移動。
Ayaは朝一で3Rに入ります!

予選3R 6-4,4-6,7-10 で惜敗でした。
攻めまくってくる相手に走って耐えて、カウンターからネットプレー等、見応えのある良い試合が出来ましたがあと一歩及ばず。悔しい負けですが次に繋がる良い失敗体験になったと思います。
試合後の練習でも身が入り次に向かってまた頑張ってます。

三日間良く頑張ったので帰りはレイタおすすめのアイス屋さんで一休み。

IMG ACADEMYの前で。(松島コーチFace Bookより) オレンジボウル・エディハー・リトルモー大会、当初の予定3試合の他に その日の予定次第でどんどん地元の大会に臨機応変で参加させてくれます。11/18にはCaselyの2dayトーナメントに出場、石井絢さんはSFに進出。6-4 0-6 4-10で惜しくも決勝進出をのがしました。でも立派なベスト4。試合が無い時間は練習・練習の毎日。7人で写っているのは、クロアチアチームとの写真。

    

IMGアカデミーIMG Academy )はアメリカ合衆国フロリダ州ブレイデントンにある世界的に有名な寄宿学校・スポーツトレーニング施設である。野球、バスケットボール、アメリカンフットボール、ゴルフ、ラクロス、サッカー、テニス、陸上競技など8競技に加え、パフォーマンス・トレーニングに特化したプログラムを提供している。

ユース向けの長期留学、短期キャンプのほか、大学およびプロアスリートや、大人や家族のキャンププログラムもあるほか、様々なスポーツイベントの会場としても利用されている。その他、ゲーターレードの研究施設を擁するなどスポーツパフォーマンス研究と技術革新のためのパートナーシップを各分野の企業と結んでいる。

マリア・シャラポア、ウィリアムス姉妹、アンドレ・アガシ、錦織選手など世界的トッププロを多数育成・指導をしている著名なニック・ボロテリーコーチが1978年に創設。

テニス選手だけでなく、NBA選手やメジャーリーガー、NFL選手、ゴルフ選手など、世界的プレイヤー等のトップアスリートも使用するトップレベルの施設。プロオフシーズン時にはトップ選手が練習に訪問する。

IMGアカデミーの土地は現在600エーカー(東京ドームでおよそ50個分)。IMGペンドルトンスクールは、競技学生のための共同の教育、大学予備校として1999年に設立。 2012年に、学校名は「IMGアカデミー」に変更 

小中高一貫の私立の学校として、寄宿舎に滞在する長期留学も可能。スポーツトレーニングだけでなく、政府公認の学校機関として授業に参加、高校卒業資格も取得できる。卒業生の95%は米国の大学進学を果たす進学校でもある。その他、ユース向けの短期スポーツキャンプ、大学やプロ選手、大人向けのプログラムも提供。テニス選手やゴルフ選手、NBA、NFL、MLBなどに所属する選手など、世界的に活躍するトップアスリートも使用する世界最高峰のスポーツトレーニング機関を擁する。また、留学生向けの英語プログラムもあるため、スポーツをしながら英語力を磨くこともできるのが魅力だ。

設備:テニスコート55面(ハード、クレー、室内・外)天然芝サッカーフィールド16面/天然芝野球場6面 練習用グランド(内野サイズ)3面/室内練習場/室内・外バッティングゲージ12個、投球マウンド15個/天然芝ゴルフ練習場/18ホールゴルフコース、パッティンググリーン、アプローチ練習グリーン/天然芝ラクロスフィールド2面/天然芝フットボール場2面/バスケットボールコート4面/フィジカル、メンタル、ヴィジョン、栄養学など様々なトレーニングを受けられるパフォーマンスセンター/スタジアム(アメフト・陸上・サッカー・ラクロス等の試合を行うスタジアム。観客席は5000シート)/オールウェザー400Mトラック(8レーン)/ゲータレード研究機関

 

グランドスラムイベントに次ぐ国際テニス連 盟(ITF)グレードAに区分されるジュニアテニス最高峰 のトーナメントオレンジボウルの予選出場が決まった石井絢さんが、11/15成田空港からアメリカに飛び立った。国内大会で優勝した際に海外遠征費が助成された。それを無駄にしないよう、1ヶ月のフロリダ遠征を決意。エディーハーの予選出場も決定しており、この他の大会にも出場予定。リバーテニススクールから海外遠征は初めてのこと。(松尾くんはリバーに入る2年前の中2で、1ヶ月のオーストラリア遠征をしている。)

創立時、かずコーチがあいさつ文に『リバーから全国へ』と書いたが、やっぱり夢は大きい方がいい、と『リバーから世界へ』と訂正した。そんな夢がまたひとつ叶えられる。

この経験は石井さんにとっても、リバーにとってもたいへん貴重なものになります。
今後、全国、世界を目指す後輩たちの良きアドバイザーになってくれるはず。帰国は12/14予定。